伝灯奉告法要御満座の消息 二〇一七年五月三十一日 龍谷門主釋 専 如 凡夫の身であることを忘れた傲慢な思いが誤っているのは当然ですが、凡夫だから何もできないという無気力な姿勢も、親鸞聖人のみ教えとは異なるものです。即如前門主の『親鸞聖人七百五十回大遠忌法要御満座を機縁として「新たな始まり」を期する消息』には、 凡夫の身でなすことは不十分不完全であると自覚しつつ、それでも「世のなか安穏なれ、仏法ひろ まれ」と、精一杯努力させていただきましう。と記されています。このように教示された生き方が念仏者にふさわしい歩みであり、親鸞聖人のお心にかなったものであるといただきたいと思います。このことは、ご法要初日に「念仏者の生き方」として詳しく述べさせていただきました。 今、宗門が十年間にわたる「宗門総合振興計画」の取り組みを進めておりますなか、来る二〇二三(平成三十五)年には宗祖ご誕生八百五十年、そして、その翌年には立教開宗八百年という記念すべき年をお迎えいたします。 改めて申すまでもなく、その慶讃のご法要に向けたこれからの生活においても、私たち一人ひとりが真実信心をいただき、お慈悲の有り難さ尊さを人々に正しくわかりやすくお伝えすることが基本です。そして同時に、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏者の生き方を目指し、精一杯努めさせていただくことが大切です。 み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現するため、これからも共々に精進させていただきましう。平成二十九年 れてきます。このような凡愚の身の私たちではありますが、ご本願に出遇い、阿弥陀如来のお慈悲に摂め取られて決して捨てられることのない身ともなっています。そして、その大きな力に包まれているという安心感は、日々の生活を支え、社会のための活動を可能にする原動力となるでしう。

目 次

ほねをくだきても謝

師し身み如

知ち

を粉

らいだい

の恩

おん

どく

にしても報

しき

悲ひ

の恩

おん

どく

ほう

すべし

ずべし

おん どく さん

伝灯奉告法要御満座の消息 ……………………………………………………9

…………………………………………………………

御正忌報恩講法要全日程表

……………………………………………………

御正忌報恩講法要境内案内図

……………………………………………………………………

法要日程( 日〜 日)

…………………………………………………………………………………………………………

お 斎

………………………………………………………………………………

御法楽献詠入選歌 通夜布教/奉讃演奏会( 日)…………………………………………………

…………………………

御正忌報恩講法要期間中の関連行事日程

親鸞聖人のご生涯〈御絵伝解説〉 ……………………………………………… …………………………………………………………………………………………………………

帰敬式

…………………………………………………………………………………………………………

免 物

…………………………………………………………………………

本願寺よりのご案内

日曜レクチャー〈日曜講演〉/お西さんを知ろう! Shinran’sDay

……………………………………………………………………………………………………

大谷本30廟

………………………………………………………………………………

日野誕生院/角坊 領解文/報恩講の歌 …………………………………………………………………………

9

平成 年本願寺の法要行事日程 …………………………………………… 御正忌報恩講法要16期間中の仏華と供物 ………………………………

15

恩徳讃 … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …1報恩講について ……………………………………………………………………………………2ご挨拶〈浄土真宗本願寺派総長 石上 智康〉 … … … … … … … … … …3〈本願寺執行長     本多 隆朗〉 … … … … … … … … … …4浄土真宗の教章(私の歩む道)… … … … … … … … … … … … … … … … … … … … … …5伝灯奉告法要ご親教「念仏者の生き方」… … … … … … … … … …7

5049484746

43424132252420161513111

しんらんしうにんとくしの

は、親聖のご遺を偲び、そのご苦労を通じて、阿弥陀如来のご本願によるお救いをあらためて心に深く味わわせていただく法要です。

親鸞聖人の三十三回忌のご法要にあたり、本願寺第

かくにしうにんさんごう

三代覚上がそのご遺徳を讃するため『報恩講

』をご制作になられ、以来、聖人のご命日の法要は報恩講として、大切にお勤めされてきました。

れんに

本願寺第八代蓮上人がお示しのとおり、正しくお念仏のいわれを聞かせていただき、身にいただく

むく

ことが聖人の御恩に報いる道です。て私しお報記きり恩ま講すは。、お一念月仏九の日道かをらお十示六し日いまたでだおい勤ため親い鸞た聖人しのご遺如徳を偲ばせていただき、お念仏に遇えた喜びをこの身に受人け、共々にお念仏申しましう。

如鸞

報 恩 講

ほうおんこう

2

寒さ厳しいなか、皆さまには、全国各地から「御正忌報恩講法要」にようこそご参拝くださいました。「報恩講法要」

 

は、浄土真宗の教えに導かれ報恩感謝の生活を送る私たちにとって最も大切なご法要です。ご法要をご縁に、改めて宗祖聖人のご遺徳を偲び、浄土真宗のお救いにあわせていただいているご恩に感謝し、今後ともお念仏の道を歩ませていただきましう。

 

 

られご、門重主ね様ては「、伝ご灯親奉教告「念仏御者満の座生のき消方」で」、で浄「土私真た宗ちの一み人教ひえとをり依がり真ど実こ信ろ心とをしいたたこだれきか、らおの慈生悲きの方有をりお難示さし尊にさなを

法要 人々に正しくわかりやすくお伝えすることが基本です。そして同時に、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏息者の生き方を目指し、精一杯努めさせていただくことが大切です」とご教示になられました。

 

宗門では、そのお心を体し、具体的な現場化の一つとして、二〇一五年に国連が採択した「SDGs」(持続可能な開発目標)に関するシンポジウムを開催し学びを深めるなど、新たな取り組みを進めようとしております。

貧困をなくそう、安全な水とトイレを世界中に、エネルギーをみんなに、そしてクリーンに。「SDGs」に掲げた どの目標も、地球上の人々が幸せに、しかも、持続可能な社会を創っていく上で、欠くことのできない課題ばかりです。 「我にまかせよ そのまま救う」とはたらき続けていてくださる阿弥陀如来のお慈悲ひとすじにこの身をお任せし、

安心をいただくとともに、具体的な社会貢献の場でも、世界の人々とともに、自他共に心豊かに生きることのできる社会の実現に貢献するため、精いっぱい努めさせていただきましう。合 掌

3

しう

御ご正

忌き

報恩講法要

ほうおんこうほうよう

をお迎えして

浄土真宗本願寺派総長

石上

いわがみ

智ち

こう

新年早々、厳しい寒さのなか遠近隔地より「御正忌報恩講法要」にようこそご参拝くださいました。

 

ご承知の通り、一昨年十月一日から十期八十日間に亘りご修行されました第二十五代専如門主伝灯奉告法要は、昨年

 

五月三十一日に御満座、無事円 いたしました。これもひとえにみ仏のお導きと親鸞聖人並びに歴代宗主のご苦労を

 

はじめ、多くの皆さまのご懇 の賜と改めて有り難く心より御礼申しあげます。さて、親鸞聖人は戦乱と天変念地異が相次ぎ、多くの人々が世の無常を痛感する平安末期にお生まれになりました。そして、九歳で得度され、比叡山で二成十年もの間、学問・修行に励まれましたが、迷いを出 する道を見出すことが出来

ず、新しい道を求めて下山されました。そして、法然聖人とのお出遇いによって本願念仏のみ教えに帰依され、お念仏とともに九十年のご生涯を歩まれました。

『歎異抄』には

「念仏者は無礙の一道なり。」とあり、「阿弥陀仏の本願を信じお念仏申すことは、何ものにも妨げられることのない、生死を超える唯一の大道です。」と示されております。親鸞聖人は、そのご生涯をかけて私たちにこの真実のみ教えをお伝えくださいました。あらた

めて、ご真影様の前で手を合わさせていただきながら、苦悩から離れることのできない我が身ですが、お念仏に出遇えたことを大いに喜ばさせていただきたいと存じます。これからも、専如ご門主様が伝灯奉告法要におけるご親教『念仏者の生き方』にてお示しくださいました「和 」を心がけ、自他共に心豊かに生きていくことのできる社会の実現に貢献するために精一杯努めてまいりましう。合 掌

顔 愛

4

しう

御ご正

忌き

報恩講法要

ほうおんこうほうよう

に際して

本願寺執行長

ほん

多だ

たか

朗お

せいかつ

きう

義ぎ

かん

世よ

阿あ

げん

喜ぎのうちに、現

つねにわが身

しん

らい

らん

弥み

のみ心

しう

する。

ぶつ

陀だ

にん

世ぜ

祈き

とう

などにたよる

をふりかえり、慚

を聞

の教

こころ

となり、迷

の縁

えん

おし

まよ

が尽

めぐまれ、念

ねん

らい

き、念

ねん

ぶつ

を称

土ど

とな

ざん

愧ぎ

えつつ、

えにみちびかれて、阿

いの世

に還

かえ

きるとき浄

ぶつ

を申

の本

ほん

もう

がん

って人

じう

す人

りき

せい

ひと

びと

に生

を歩

あゆ

弥み

を教

きう

陀だ化け

まれて

み、この

によって信

じん

しん

じん

ほん

しう

しう

しう

ざん

派は祖そ名

めい

りう

こく

ざん

土ど

じうしん

ご誕ご往

しん

じう

おう

たん

らん

ほん

しう

じう

じう

しう

しん

土ど真

がん

ほん

(承

(弘

にん

こう

寺じ

がん

ちう

にし

(西

寺じ派は

本願

ほんがん

寺じ

二年十一月二十八日)

一二六三年一月十六日

じう

あん

三年四月一日)

一一七三年五月二十一日

しう

(ご開)

かいさん

じう

土ど

真宗の教章

しんしうきうしう

(私の歩む道)

わたしあゆみち

5

せい

ほん

てん

ぞん

『御

・中

ちう

阿あ

祖そ

迦か

弥み

こう

陀だ

ぶん

和わ

無む

しう

の祖

土ど

じう

『浄『正

しう

(『教

ぞう

きう

『正

おも

・宗

しう

しう

まつ

ぎう

しん

な聖

しう

『仏 『仏 ぶっ 『仏

・釈

ぶっ

ぶっ

れん

和わ

さん

しん

ねん

ぎう

しん

せつ

せつ

せつ

偈げ

しう

』『高

さん

』行

しう

らん

阿あ観

らい

かん

ぶつ

無も

こう

ぎう

にん

しう人

阿あ

にん

そう

かん

が著

弥陀

無む

きう

りう

りう

が説

らい

寿

寿

弥み

のお手

和わ

まつ

土ど陀だ

さん

部ぶ

の偈

じつ

きう

きう

かれた「浄

(南

じう

がみ

もん

された

さん

ぶつ

きう

宗門

しうもん

かい

の実

じつ

ともに心

つた

げん

こころ

える教

きう

あり、人

ねん

ぶつ

に貢

ゆた

だん

びと

を申

ひと

この宗

しう

もう

もん

こう

けん

する。

かに生

きることのできる

である。それによって、自

に阿

弥み

す人

ひと

は、親

ことなく、御

しん

おん

陀だ

びと

らん

ほう

らい

の集

しう

つど

にん

の智

の教う同

の生

せい

どう

おし

かつ

慧え

と慈

ぼう

おく

朋教

きう

えを仰

を送

悲ひ

他た

でを

ぎ、

だん

る。

あお

6

無常

仏教は今から約二五〇〇年前、釈 がさとりを開いて

となられたこ起とに始まります。わが国では、仏教はもともと仏 と呼ばれていました。ここでいう法とは、この世界と私たち人間のありのままの真実ということであり、これは時間と場所を超えた普遍的な真実です。そして、この真実を見抜き、目覚めた人を仏陀といい、私たちに苦悩を超えて生きていく道を教えてくれる尊のが仏教です。

仏教では、この世界と私たちのありのままの姿を「諸

 

行 」と「縁 」という言葉で表します。「諸行無常」とは、この世界のすべての物事は一瞬もとどまることなく移り変わっているということであり、「縁起」とは、その一瞬ごとにすべての物事は、原因や条件が互いに関わりあって存在しているという真実です。したがって、そのような世界のあり方の中には、固定した変化しない私というも法のは存在しません。

しかし、私たちはこのありのままの真実に気づかず、自陀

分というものを固定した実体と考え、欲望の赴くままに自分にとって損か得か、好きか嫌いかなど、常に自己中心

弥陀鸞

の心で物事を捉えています。その結果、自分の思い通りにならないことで悩み苦しんだり、争いを起こしたりして、苦悩の人生から一歩たりとも自由になれないのです。このように真実に背いた自己中心性を仏教では無 明とい

い、この煩悩が私たちを迷いの世界に繋ぎ止める原因となるのです。なかでも代表的な煩悩は、むさぼり・いか

り・おろかさの三つで、これを三 の煩悩といいます。

 

聖 も煩悩を克服し、さとりを得るために比 で二十年にわたりご修行に励まれました。しかし、どれほど修行に励もうとも、自らの力では断ち切れない煩悩の

深さを自覚され、ついに比叡山を下り、法 聖人のお導 きによって阿 の救いのはたらきに出遇われまし た。阿弥陀如来とは、悩み苦しむすべてのものをそのまま 救本い、さとりの世界へ導こうと願われ、その願い通りには た親らき続けてくださっている仏さまです。この願いを、 願といいます。我執、我 の世界に迷い込み、そこか ら抜け出せ人ない私を、そのままの姿で救うとはたらき続

けていてくださる阿弥陀如来のご本願ほど、有り難いお

如 来

欲 毒

悩 叡 山

伝灯奉告法要ご親教「念仏者の生き方」

7

今日、世界にはテロや武力紛争、経済格差、地球温暖

います。たいへん重いご教示です。

陀如来のご本願のお心をお聞きし、愚かなる無明の酔いも次第にさめ、むさぼり・いかり・おろかさという三つの毒も少しずつ好まぬようになり、阿弥陀仏の薬をつねに好む身となっておられるのです」とお示しになられて

「(あなた方は)今、すべての人びとを救おうという阿弥

導かれて、そのように志して生きる人間に育てられるのです。このことを親鸞聖人は門弟に宛てたお手紙で、

まの真 「和

顔愛

といわれようとも、ありのままの真実に教え

」という生き方です。たとえ、それらが仏さ

り、他者に対しては、穏やかな顔と優しい言葉で接する

は、欲を少なくして足ることを知る「少

で、自分本位にしか生きられない無明の存在であること

に気づかされ、できる限り身を慎み、言葉を慎んで、少しずつでも煩悩を克服する生き方へとつくり変えられていくのです。それは例えば、自分自身のあり方として

私たちは阿弥陀如来のご本願を聞かせていただくこと

べない私の愚かさ、煩悩の深さに悲

 

」であ

せざるをえません。

がらも、そのお慈悲ひとすじにお任せできない、よろこ

慈悲はありません。しかし、今ここでの救いの中にありな

二〇一六(平成二十八)年十月一日

浄土真宗本願寺派門主 大 谷 光 淳

※このご親教は、伝灯奉告法要初日にお示しくださいました。

を正しく、わかりやすく伝え、そのお心にかなうよう私たち一人ひとりが行動することにより、自他ともに心豊かに生きていくことのできる社会の実現に努めたいと思います。世界の幸せのため、実践運動の推進を通し、ともに確かな歩みを進めてまいりましう。

国の内外、あらゆる人びとに阿弥陀如来の智

精 一 杯

努力させていただく人間になるのです。

と慈

りどころとして生きていくことで、私たちは他者の喜びを自らの喜びとし、他者の苦しみを自らの苦しみとするなど、少しでも仏さまのお心にかなう生き方を目指し、愚かな存在であり、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできません。しかし、それでも仏法を依

はこの命を終える瞬間まで、我欲に執

われた煩

生きる私たちの無明煩悩にあります。もちろん、私たち

が、これらの原因の根本は、ありのままの真実に背いて

化、核物質の拡散、差別を含む人権の抑圧など、世界規模での人類の生存に関わる困難な問題が山積しています

昨年の十月一日よりお勤めしてまいりました伝灯奉告法要は、本日ご満座をお迎えいたしました。十期八十日間にわたるご法要を厳粛盛大にお勤めすることができましたことは、仏祖のお導きと親鸞聖人のご遺徳、また代々法灯を伝えてこられた歴代宗主のご教化によることは申すまでもなく、日本全国のみならず、全世界に広がる有縁の方々の報恩謝徳のご懇念のたまものと、まことに有り難く思います。

昨年の熊本地震から一年を経過し、甚大な被害をもたらした東日本大震災から六年が過ぎました。改めてお亡くなりになられた方々に哀悼の意を表しますとともに、被災された方々に心よりお見舞い申し上げます。どれほど時間が経過しても心の傷は癒されることなく、深い痛みを感じてお過ごしの方も多くおられるでしう。なかでも、原子力発電所の事故による放射性物質の拡散によって、今なお故郷に帰ることができず、不自由な生活を余儀なくされている方々が多くおられます。思うままに電力を消費する便利で豊かな生活を追求するあまり、一部の方々に過酷な現実を強いるという現代社会の矛盾の一つが、露わになったということができます。

自分さえ良ければ他 ほか はどうなってもよいという私たちの心にひそむ自己中心性は、時として表に現 れてきます。このような凡愚の身の私たちではありますが、ご本願に出遇い、阿弥陀如来のお慈悲に摂め取られて決して捨てられることのない身ともなっています。そして、その大きな力に包まれているという安心感は、日々の生活を支え、社会のための活動を可能にする原動力となるでしう。

伝灯奉告法要御満座の消息

9

凡夫の身であることを忘れた傲慢な思いが誤っているのは当然ですが、凡夫だから何もできないという無気力な姿勢も、親鸞聖人のみ教えとは異なるものです。即如前門主の『親鸞聖人七百五十回大遠忌法要御満座を機縁として「新たな始まり」を期する消息』には、

凡夫の身でなすことは不十分不完全であると自覚しつつ、それでも「世のなか安穏なれ、仏法ひろ

まれ」と、精一杯努力させていただきましう。と記されています。このように教示された生き方が念仏者にふさわしい歩みであり、親鸞聖人のお心にかなったものであるといただきたいと思います。このことは、ご法要初日に「念仏者の生き方」として詳しく述べさせていただきました。

今、宗門が十年間にわたる「宗門総合振興計画」の取り組みを進めておりますなか、来る二〇二三(平成三十五)年には宗祖ご誕生八百五十年、そして、その翌年には立教開宗八百年という記念すべき年をお迎えいたします。

改めて申すまでもなく、その慶讃のご法要に向けたこれからの生活においても、私たち一人ひとりが真実信心をいただき、お慈悲の有り難さ尊さを人々に正しくわかりやすくお伝えすることが基本です。そして同時に、仏さまのような執われのない完全に清らかな行いはできなくても、それぞれの場で念仏者の生き方を目指し、精一杯努めさせていただくことが大切です。

み教えに生かされ、み教えをひろめ、さらに自他ともに心安らぐ社会を実現するため、これからも共々に精進させていただきましう。平成二十九年

二〇一七年五月三十一日

龍谷門主釋 専 如